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  • 執筆者の写真なかやま かおり

私は姉が本当に嫌いでした。という告白(*^_^*)

こんにちは。そらいろカウンセリング神戸芦屋の中山です。

今日は、私は姉のことが本当に嫌いでした。という告白をしたいと思います。


何の話なん!?って感じですが、

嫌悪感を見つめたら愛が見えてくるかもしれません、っていうお話です。たぶん(笑)


姉が生きている間、私、本気の本気で姉が嫌いだったんですよね。10代半ばには姉に対して嫌悪感しか感じなくなっていたと思います。 私はあまり人を嫌わない人だと思うんですけどね、それって、なんていうか、姉が嫌いっていうエネルギーが強過ぎて、他の人への嫌悪感が薄く感じているだけなのかもしれません(笑)


血が繋がった実の姉を強烈に嫌悪し続けるのは結構しんどかったんですよ。なので、姉のことも姉への嫌悪感も、見ない考えないを通していて、10代後半からは姉と言葉を交わすことはほぼありませんでした。実家にいる時も姉を「いないもの」として扱っているような感じでね。


4年半前に姉が亡くなって、姉への嫌悪感はそれで終わりになるはずもありませんでした。亡くなった後に強烈な形で復活したんですよね、姉への嫌悪感が。姉の遺影を見ながら、この写真叩き割ったろかと何度も思いました(←いや、あかんやろ、さすがに、と思って我慢しましたが(笑))


その後、姉の死が私にもたらしてくれた浄化のエネルギーも手伝って、姉との関係や父母との関係をガチンコで見直し始めました。

自分の中にあるものを真正面から見つめること自体がそりゃあしんどい作業ではありました。

けれど、見つめ続けたら見えたんですよね。


姉が私を愛してくれていたこと、

私が姉を愛していたことが。


姉への嫌悪感がなくなったとか、愛に転じたとかっていうよりもね、自分の中にある嫌悪感を見つめて自分自身でそれをOKにすることができたら、『嫌悪感と同時にあった愛』が見えてきた、っていうことだと私は思っています。


私は子どもの頃から何十年も、本気で姉が嫌いでした。

でも同時に、ずっと姉を愛していたとも思うんですよ。 心のエネルギーとして、嫌悪感と愛って、同じものなのではないかと今では思います。

私は姉が亡くなるまで姉への嫌悪感を見つめることができませんでした。しかし、そのことにさほどの後悔はありません。私のタイミングはそこだった。それも姉は許してくれている、みたいな気が勝手にしています。


人を嫌うってしんどいじゃないですか。 そんなこと思ったらダメ!みたいな否定感が自分の中から湧いてきますし、そもそも嫌悪するということ自体が自分の生命力や波長を下げます。 だから、自分自身が快適に生きるために、

もし誰かへの嫌悪感について、「これ、一体なんなのだろう?」「もう終わらせたい」と思うなら、

そのタイミングだと自分で感じたら、

それがどんなに道徳的に良くないものに思えても、自分がそれを否定せず、

自分の中で感じてみる

味わってみる

見つめてみる


っていうことをしてみてもいいのかなと思います。

見つめることで見えてくるものがきっとたくさんたくさんあります。


そして、もしその作業を一人でやるのは難しいと思われるなら、カウンセリングなどで誰かと一緒にやってみるのも良いと思います。


2021.11.05

そらいろカウンセリング神戸芦屋

中山かおり

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