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執筆者の写真なかやま かおり

人生で何に価値を置くかは人それぞれ違う。その違いに傷つき、気付き、受け入れること。


こんにちは。そらいろカウンセリング神戸芦屋の中山です。

つい最近、私のこれまでの人間関係を振り返る必要を感じて実際に振り返ってみました。そこで感じたことがあったので、今日はそれをお伝えしようと思います。

誰とどんな風に関わってきたのかを振り返ってみると、私がこれまで人との関わりにおいて、『お互いに、本来のありのままの姿で、本音で、真正面から関わることで得られる安心感』をいかに重視してきたのかを改めて実感しました。人との関わりに、本気でバカ正直で、どれだけのエネルギーを、時間を、そこにかけてきたのか。自分でも、よくそこまでやれたよなと感心さえします。

しかし同時に、これまで私が関わってきた人たちを見つめてみると、そういう『本音でガチンコな関わり』をそもそも必要としない人や望まない人もいるのだということを今回改めて実感したのです。 そして、もし過去の私が、そういう人たちの価値観を尊重することができていたら、もっと人に優しくなれていたのにな、と思ったんですよね。


人生で何に価値を置き、何を得たいと望むか。それは人によって違います。

私はひたすら、「人と本気で・本音で関わることで安心感を感じること」を求めてきました。しかし、たとえば同じように安心感を求めたとしても、それを何によって得たいのかということは、人によって違うのです。


たとえばこれまでの人間関係で、私に何らかの間違いのようなものがあるとしたら、この『人の違い』に気付かなかったことだと思います。気付かなかったし、いえ、たとえ気付いていたとしても、それを受け入れる余裕がかつての私にはなかったかもしれません。


人はただ違うというそれだけのことが理解できなくて、受け入れられなくて、ずいぶん人を傷付けてきたし私自身も痛みを感じてきました。今、人は違うということをただ理解し受け入れるのに、そのような痛みが必要だろうかと考えてみると、たぶん必要ではないだろうと思います。

けれど、痛みを感じたからこそ、この痛みはなんなのだと、なぜ傷つき傷つけるのかと、一体どうしたら快適に人と関われるのだと、真剣に考え、深く見つめてきました。

そしてその結果、今回改めて、人はみな圧倒的に違うのだと気付くに至ったのです。今さらかもしれません。遅いでしょと苦笑したくもなります。こんな当たり前の結論に至るのに確かに痛みを伴いました。けれどここに至った流れを私は大切にしたいと思っています。


人はみな違うのだということは、当たり前の前提です。人は違うし、違っていいのです。これまでの人間関係で感じてきた痛みは、そんな当たり前の気付きを私にもたらしてくれました。


私とあなたが違う。それだけのことで人は傷つくことがあります。けれど、私の人間関係を振り返ってみて、過去に感じた痛みが未来に向かう光になること、そして、お互いの違いを受け入れあう本来の優しさが人には備わっているのだということを、今改めて感じています。


そらいろカウンセリング神戸芦屋

中山かおり

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